スタレビファンなら、ピンとくるであろう本日のタイトル。
そう、眩しく痛いまでの日差しのある日、古くからの友が息を引き取りました。
治ることのない病は、私の予想よりも早く友の体を蝕み、見舞うたびに友の姿を
変えていき、私は友の病室に足を運ぶのが辛くなったのです。
私は、友を見捨てたのかもしれません。
友の葬儀を終えて、私は友の配偶者からお礼の言葉とともに
「でも、少しあなたを恨みます」と言われました。
「あなたが見舞いに来た日は、いつも調子が良くて食欲も戻ってた。なぜもっと見舞って
くれなかったのか。そうすれば、まだ生きていたかもしれないのに」と。
言った本人も私も、それが八つ当たりだとわかっています。
愛しい人を亡くした時、誰かのせいにしないと、自分を支えられないことがあるのです。
それに、その気になれば毎日通える距離の病院だったのにも関わらず、だんだん遠のいた
のは私の意思でしたから、責められても仕方ないのです。
友が逝ってしまってから、私はいくつかの問題と大きな壁にぶち当たっています。
内心、大いに嘆き苦しみ、他者に原因を見出そうとしていました。
けれども。
どの問題もおなじ根からだと、やっと気がついたのです。
すべては、私の思い通りにしたいという我の強さだったのです。
いつのまにか、自信は思い上がりへと姿を変え人を思いやる真心を
私は失ってしまっていました。
友は、その命で私にそれを教えてくれたのかもしれません。
もう一度、自分の姿を見つめ直して改めるきっかけを与えてくれた気がします。
生きるなら光の中を、今ならまだ修正できるから。
そんな友の声が、聞こえるようです。
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